-日々オハナ、ヨガについて-

国際ヨガの日  2018/06/22(Fri)09:18:56
https://instagram.com/p/BkSElqkhlqg/

6月21日は「国際ヨガの日」でした。
(写真は、防衛省海上自衛隊のInstagram公式アカウントから)

以前からお知らせもしていましたが、名古屋でもこの日を祝して
名古屋城で1000人近い人達と、そして会場を旧那古野小学校に移し
「ヨガの学校」を開催しました。
当日は、梅雨の季節にもかかわらず、素晴らしい晴天に恵まれました。
ヨガの神様がちゃんとご褒美を与えてくださった!と、
早朝から名古屋城へと足を運んでくださった方々が、青空を見上げて
気持ちよく深呼吸できる日になったことに心から嬉しい思いでした。
実行委員会スタッフとして、昨年秋から準備を進め、
何度も難題にぶつかりながらも、無事に終わることができたのも、
実行委員長はじめ、31名の実行委員とご協力いただいたボランティアスタッフさんたちの
力の集結があったからこそですが、何よりご来場くださった方々のおかげだと感謝いたします。

今回、師匠からの依頼で参加するはめに(笑)なった実行委員ですが、
想像をはるかに超える無理難題に当初は心の中で
「できるんか?無理じゃないか?」と思いながらも、
そんなふうに単純アホな私一人で考えていたことが(他の皆もその時は同じように思っていたはず)、
次の会議に出席すると、必ず誰かがその問題を解決→各チームで一つずつ乗り越えていくさまを
動きながら見せてもらい、本番の日が近づくにつれ、
これこそがヨガなんだな、、と深く感じるようになりました。

 絶えず考える。

この数ヶ月はいつもそうでした。
科学者が自分の直面している問題をいつも考えているように、
車の運転をしている時も、散歩している時も、シャワーを浴びている時も、
どこかで考えている自分がいました。
そして眠りについている時、ふと答えが浮かんだ時がしばしばありました。
その答えを持っていくと、もっといい答えを持ってくる人がいる。
一人より二人、二人より三人、、、多くの叡智がそこにはあるんだということを
しみじみ感じ、そして、人間ってなんて賢いんだろう!と尊敬するのでした。
日によっては、気分もへこみ、くさることも愚痴ることも多々ありましたが
仕事をしながら空いた時間で頑張っている其々の姿は、とても個性的で
それぞれが孤独と戦いながら、でも目標に向かって協力を惜しまず力を出し切る、
優しいヨギたちの真の姿だと言ってもよかったです。
イベントの運営を行うには確かに素人集団ではありました。
不備な点もたくさんあったと思います。そんなに考えたわリにはアレかよ。と思う方もいらっしゃることでしょう。
でも、やってみる。頼まれごとはやってみる。
このことはヨガの指導の世界に入り、意識的に思い、やってきたことです。これこそが私の人生でもあります。

つらくても、悲しくても笑顔でいなさい。と私の師匠から教えられました。
「ありがとう」は毎日、出し惜しみせず何回でも何百回でも口にしなさい。とも教えられました。
この場をお借りして、出会ったすべての方に感謝申し上げます。
ありがとうございました。

最後に、昨年この世を去られた渡部昇一氏の言葉を記させていただきます。
私が書店勤めをしていた頃より、尊敬している氏の『渡部昇一 一日一言』より。


  最終的に 人間の一生には、「これは天命だ」といわなければならないことが起こりうるものだ。
  それには良い命もあれば悪い命もあるが、とりわけ逆境に遭ったときの態度が
  何よりも重要なのである。
  どんな逆境にあっても、決して天を怨まず人を咎めず、自らを信じて心穏やかに道を楽しむ。
  「これは天命だ」と受け入れることが大事なのである。
  すると、霧が晴れるように視界が開けてくるものである。


 
OM Shanti.



身体の小掃除のススメ  2018/03/28(Wed)22:48:53
 習い事をしている人は多いと思うが、ヨガを習い事の一つとして、
割と長い間に渡り、スタジオやヨガ教室に通っている人は、
私の教室の生徒さんや他の所でもかなり多く見かけるようになった。
長年、その人の身体を観察していると、特徴的なクセが悪い方に出ていることに
ある日気づく時がある。そういう人はもう長いこと通っているだけあってヨガに対する心構えはできている。
だのに、肉体の方の構えが崩れているのはどうしてか?
理由はいろいろだろう。
生活環境に変化があったり、食べ方の偏りや変化、思考の偏り、加齢による体力の低下、、、
理由を挙げればもっとたくさんあるかもしれない。

で、その人の身体を見てそれに気付いてしまった時。
あまりにも気になる時はタイミングをはかって声をかけたりもするが、
大抵は、まぁちょっと様子見るか、、となることが多く、
あまり放っておくとやはり、腕が上がらないとか、腰痛悪化などの体調不良により遠のいてしまう人がでてくる。
そして、そういう人はとても良い人が多くて(というかヨガが好きで通うようになると、約束を守る人になるのだと思う)
レッスンを休む時に「家で少しずつヨガやりながら、体調が戻ったら復帰します」と仰る。
私はというと、
「あぁ、、やっぱり気になった時にもう少し伝えておくべきだった」と反省するのである。
床に座って談笑している時の姿勢や、帰っていくその後ろ姿にふと、何か感じた時は
それを見過ごさず、手を入れて本気で向き合わないと人の身体というのは簡単に悪癖の方へ赴いてしまう。
休むことはとても大事なので、もちろん休んでほしい。
但、家でできるのであれば、できる範囲で実践はしていてほしい。
たとえ簡単なストレッチでもやった方が命は喜ぶ。そこに差が生まれる。

先日もレッスン後に
「家だとこんなに動けないけど、レッスンだと最後まで頑張れるんです」という話を聞いた。
確かにそうなのである。
みんなでヨガを行うと「やらねば!」と、キツくても「できたわ!」と、
そして「シャバアサナ寝なかったわ!気持ちええ!」がうまいこと全身を巡回してやってくる。
家で風呂上がりなんかにヨガマット敷いてやってても、次第に集中力が切れ、
諦めとだるさが心の隙間に入り込んでくる。そして適当になるのが人の常。そんなもんです。
でも、それはそれ。
10分くらいで諦めちゃっても、捻りのポーズのまんま居眠りしててもやらないよりはいい。
私はこれを「身体の小掃除」と沢村貞子さんのエッセイから勝手に名付けておりまして。
ヨガに行く支度をして家を出て自分のレベルに合ったレッスンに参加するのは身体の中掃除。
じゃぁ大掃除はなんだよ?とツッコミが入りそうですが、
それは所謂、自分にとってのキツイやつ。後々の筋肉痛を愛おしく思う感覚のアレです。
1時間半もしくは2時間クラスで、しかも普段やってない動きやアーサナの連続だと
もうわけわからんちん〜になるにつれ、かえって集中力が身につくので最後の瞑想やシャバアサナが
本来のリラックスした自分に戻れて気持ちよくなる。これを私は大掃除と思ってます。
そう思うと、しばらくヨガ教室から離れていても小掃除を続けていさえすれば、
いつかまた、大掃除もやってみっかなっと思う日が来ると思います。
身に覚えのあるアナタ、いつでも門戸は開いてますよ。お待ちしております。

最後に小掃除の好きな部分、ちょこっと引用しておきます。

“小掃除というのは、汚れていて気持が悪いと思ったとき、いつでもチョイチョイする掃除のこと。
夜、仕事から帰ったとき、格子戸に夕立のハネがあがっているのを見れば、
すぐその足で雑巾を二、三本しぼってきて拭いておくーーというわけである。
煮ものの砂糖を計る軽量器に、指あとがついていると気がつけば、早速濡れぶきんでこすっておく。
夕食のあと片づけの最後にはいつも、みがき砂をつけたスポンジで、ガス台、調理台の煮炊きのよごれをとっておく
(どんなよごれもすぐなら楽にとれるけれど、時間がたつとイキが切れるーー母がそう言ったっけ……)。”
― 沢村貞子「中掃除・小掃除」『わたしの台所』光文社文庫


美しく 慎み深い言葉を  2018/01/23(Tue)10:45:46
ヨガのレッスンでは、始まりにマントラを唱えます。
全員でで肚から声を出し、丹田統一を意識してから練習に入りますが、
その後はもちろん日本語で誘導していきます。
(私の場合、名古屋弁が頻繁に出てきます。)

去年あたりから、自分で気になっていたことがありまして。
どうも言葉が貧しくなってきたような、パターン化してきたような、
そんな自分自身への印象が拭いきれず、少々悶々としていました。
わかりやすくをモットーに、アーサナの指示をする時も
耳で聞いてすぐ身体が動けるように、
言葉の使い方をかなり意識していたつもりだったのが、
「慣れ」という忘れた頃にやってくる、私自身の内側に潜んでいた我儘が
出てくるようになったのかもしれません。
思えば、この2、3年は精神哲学の本ばかり読んでいて、
小説やミステリ、ライトエッセイをほとんど読んでいなかった!と気づきました。
どうりで…語彙力が下がってしまったのも頷けるわ…と。
あと老化現象…(T-T)

もともと国文科卒で大手書店にて十数年間働いていたので、
読書の効用は肌でわかっている。せっかく日本人として
この四季折々の自然豊かな国でヨガをしているのですから、
もっと日本語の奥深さを感じられるような言葉を使いたい!
ヨガの授業を美しい言葉で包み込みたい!
…などと、地味で壮大な夢を最近、抱いております。

日本語の語彙数はおよそ一万語と言われています。
英語は3000語、スペイン語やフランス語に至っては2000語足らず。
ケタが違います。日本語を子供の頃から使えてる私達って凄いのか?
凄いと思います。
今朝のテレビでは関東を中心に降った雪のニュースばかりですが、
雪の表現もたくさんあります。

新雪、粉雪、ぼた雪、べた雪、淡雪、細雪、、、

思いついただけですが、調べたらたくさんあります。
雪を見てそれぞれ想う心象風景。豊かですねぇ。
美しい言葉を心がけるだけでも自分自身、変化が生じるはずですが、
さらに、意識的に語彙力を磨くことを実践すると物事の見方、考え方が
はっきりし、自分の生命力そのものの力がつく。
年の始めに後輩指導員数人と何気なく、本の話をしていて、
やはり読書は必須だよね。という会話をしたのですが、
ここにきて「言葉の力を身につける」ことの大切さ、
美しく慎み深い言葉を使いたい。と素直に感じています。勉強しよっ!
OM!!

今年もよろしくお願いします  2018/01/12(Fri)22:07:00
107.jpg 新年明けました!遅ればせながら、おめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。















写真は我が家の天然ムスコ、マックスです。
戌年だけにちょっとおめかし(笑)
年末年始はマックスと普段通り散歩したりゴロゴロしたり、
義実家の近所をたくさん散歩しました。
スマホの歩数計を見たら、正月三が日はなんと!毎日1万歩近く歩いてました。よく歩いた〜!
大晦日は恒例の、お師匠の道場で五体投地108回も行い、明けて元旦も小1時間ヨガ宅練もやり、
三が日明けの4日はヨガ初めレッスンにも参加できました。
でも、ほとんどの時間は、家でダラダラ。しっかり食べて〜呑んで〜また呑んで。と、
日本人らしい、というか私らしい食っちゃ寝正月でした。カラダ重かったです。

さて。すでに季節も陰から陽へと変わっています。
寒い日々の中でもふと街路樹に目を向けると、すでに小さな芽が少しだけ膨らんでいて
春に向けての準備がもう自然界では着々と進んでいるのがわかります。
その生命力はたくましく、次代に繋ごうという力を感じます。
それは人間も同じですね。一年ごとに成長しようという力、生命を維持しようという力がついた時、
本当の喜びと安らぎを味わうことができるんだと思います。
ヨガは生命力を甦らせます。
今年もたくさんの気持ち良い時間を皆さんと共に、本気、本腰、真剣に
全力を出し切って楽しんで励みたいと思います。

意識は高い方がいいのか  2017/11/13(Mon)16:37:22
先週のとあるクラス。終了後に30代前半であろう可愛いママさん二人から、

「先生は調子が悪い時ってあるんですか?」

と尋ねられまして。
もちろん、

「めちゃめちゃあるよ。あるに決まっとるがね!」

と名古屋弁で応えました。
余程の強靭な内臓と神経の持ち主でもない限り、人間というのは自然の影響下の元で
いい時もあれば悪い時もあるのが当たり前。ワタクシも朝起きたら体が重っ!という日はざらです。
だけども、仕事は行かねばならぬ。
私の場合は変わりがいないから。あっ、代わりのインストラクターは頼めますよ。
事前に休むことがわかっていれば、知り合いの先生に代行をお願いします。
今日はしんどいわ〜起きたくないわ〜という取り留めもなく、根拠もよくわからない不調の時でも、
起きて、着替えてレッスン場まで行くんです。
そしたらね、なんとかなるもんだ。と毎回感じるわけなんです。
どのスタジオでも、私を指名してくれている以上は私が行くしかないんです。

「前の日は早めに寝るようにしてるし、体を冷やさないように気をつけてはいるよ。」

と続けて話したら、可愛いママさん達からは、

やっぱり意識が違いますね。意識高い〜!

みたいな褒め言葉(だと思うけど)をいただいたのですが、
意識高い系って、、、なんか違うわ。違うのよ。それってなんか勘違い系みたいな感じじゃないか?
下手こくと底の浅い奴に向けて発せられたりするもんでねぇか?
と、ちょっと思ってたんですが、
そしたら先日、それそれ!と、とても腑に落ちた言葉を、とあるヨガの場でいただいたのですよ。


意識は高くしないで、細かくしてください。



アーサナの練習の時にその言葉を聞いて、
それ!それだよ〜!私も思ってたことよ〜!
って、もうその言葉があまりにも肚に落ち過ぎて、これ聞けただけで今日来た甲斐があったわ。と思ったですよ。
他人が行き交う公共の場やSNSの世界でもなんだか雑な人が多いなぁと最近思っていたけど、
高い低いじゃなくて、意識は細かいか雑かに分かれる。
細かくしておくこと。
その繊細さを自分の中に刻んでいくと、あまり間違いが起こらないと思うんです。
意識を細かくするってことは体を見つめることでもあるから。
なので、ヨガの練習は意識を細かくさせる作業の連続でもあるのですよ。

まぁ、熱が40度くらい出ちゃうとまっすぐ歩けないかもしれないので、
そういう場合は休みますが(代わりの先生を探して、代行レッスン頼みます)、
何が大事って、要は

ちゃんと現れる。

それが相手に一番安心感を与えます。
信用、信頼、約束を重んじるのがワタクシのモットーでございます。


2017年 今年もよろしくお願いいたします  2017/01/20(Fri)16:34:36
新しい年が明けました。って、もう月末近く、、、あはは(^◇^;)
遅ればせながら、本年もよろしくお願いいたします。

さてさて。ブログがほとんど更新できず申し訳なく思いますが、
日頃、レッスンにご参加いただいている皆さまやしょっちゅう会っている方は、
ワタクシがめちゃ元気なのが十分伝わっていることと思います。
今年は気軽に日記も書きたいと思っていますが(毎年同じこと言ってるかも)
年々、いろんな思いや遭遇した出来事などを素直に書き綴るのが
難しい時代に入ったなぁと感じています。
教室自体、ワタクシの心身バランスが良い状態でなるべく継続させたいという思いから
ほとんど宣伝は行わず、ホームページのアクセス数も「もっと伸ばしたいだろぅ〜」という
天の声はほぼ無視して、そこそこで良いと思ってやっております。
この、「そこそこ」ってところが実は難しく、たまに広告会社の方などから
営業電話をお受けするのですが、そこんとこ、なんとなく、やんわり、ふわっと
お断りしているのが現状です。
そんな罰当たり的な感じでも、昨年も毎日ヨガができ、新しい縁にも
手放すべくして離れたところにも感謝しつつ、良い一年を送ることができました。有難や。

年始、お師匠に会った時に今年一年をかけて日々実践したいことを聞かれました。
少し考えて、、4つしたいことを決めました。

・週1お酒を抜く
・1日1回 逆立ちを行う
・家族に「ありがとう」を必ず言う
・冥想を行う

お酒はほぼ毎日嗜みますが、実は飲まなくても平気。一人の夜はほぼ飲みません。
寄る年波で肝臓の疲れを感じる日もあるので、やるぞ〜!と思いながらまぁ今夜も飲みますが。
とりあえず頑張ります。
逆立ちと冥想は去年もやってました。でも、サボる日もありました(正直)。
歯磨きするみたいに毎日やりたいんす。頑張ります。
ありがとうは、もうこれは意識を向けないとダメね。つい「ごめん」と言っちゃうから。
何かしてもらったら「ごめん」より「ありがとう」を言いたい。ムスッとせずスラッと言いたい。
頑張ります。

というわけで、今年はもう少しヨガ小話に花を咲かせるために文章を書くのも頑張ります。
笑って見守ってくださいませ。


五体投地 108回  2015/12/24(Thu)23:31:15
102.jpg










先日、年末の特別ヨガとして、ヨガの三大礼拝のひとつ(と、お師匠から教わった)、
五体投地をトリシュラにて行いました。(しかも写真のお弁当付き!)

回数は、108回!そう、煩悩の数です。
そもそも、「正式な回数は108回!」といつものレッスンでエラそうに言ってますが、
なかなかやる機会はございません。滅多にない、とてもいい機会です。
ワタクシも年1〜2回、お盆と年末に行いますが、やっぱりね〜ええね!
毎回のことですが、最初の30回くらいは軽くできます。
で、途中、気が散ります。凡人なので。
足も疲れてくる。持ち合わせの体力も平凡なので。
が、後半。ワタクシの場合は90回過ぎた頃から、何かが変わるのですよ。
憑き物が落ちるというか、この辺りから呼吸が変わるんです。
それは、よく言う「長くて、深い呼吸」。。ではなく、

「長くて、浅い呼吸」

なのです。
へ??浅いの?深い方がいいでしょ?
そうです。深い呼吸は、とてもよろしい。
しかし、その先、もっとその先には、長くて浅い呼吸が待っているのよぉ〜。
あぁ、今回は、100回過ぎた辺りからの最後の何回か、
本当に死んだような呼吸(ちょっと例えがアレだが)になっちゃって、
ワタクシ、もんの凄く幸せでした。
こんな呼吸がいつもできていたら、、、どんなにか楽で、自由か。
この呼吸が待っているからやりたくなるの108回。
って、字余の短歌か、標語にしたいくらいです(笑)

ということで、よく分からない感じの報告でしたが、
またいつか、、というか、きっと来年もやると思うので、
死んだような呼吸を経験してみたい人は、ぜひご参加ください。
ついでに。
次の日、久しぶりに腹筋が割れておりました。
引き締め効果も抜群、丹田統一ですのよ。おほほほ。

長くて浅い呼吸については、また詳しく書きたいと思います。

OM!

首は凝らしてはいけない。と自分へのメモ  2015/11/20(Fri)16:03:31
この何ヶ月か、たまに偏頭痛が再発するようになったので、ちょっと自分の覚書です。
もう10年以上前ですが、会社員時代は本当によく頭痛を起こしていまして、
引き出しの中には常に頭痛薬を常備しておりました。
ヨガを行うようになってからは、頭痛や生理痛、腰痛までも症状はなくなり、
とても快適な日々を過ごせるまでになりましたが、
肩凝りと首凝りだけは俄然残っており、疲れが溜まると
寝違え〜首凝りを繰り返すという現状は、
もう自分の骨格とか、寝相とか、枕のせいとか、まぁ要するに、
私の悪いクセがそうさせているので自業自得なのね、、ぐすん。という気分で過ごしておりました。

で、昨日、知人から「ぼんやりした顔してる」と去り際に言われ、
その後、「ぼんやり」についてしばし考えました。
「ぼんやりな顔」ということは、血の巡りが悪いということです。
頭の血の巡りが悪い、もしくは肩が凝っている。いろいろな意味があります。
すなわち、どこかに異常があるという報告なのだな。ということで、
例えば、症状は、片側だけの凝り、両側の凝り、張りを感じる、痛い、刺すような感じ、
などで現れ、原因としては、内臓の異常(疲れ)、血圧、栄養過不足、悪姿勢、筋肉疲労など
様々なことが挙げられます。
また、頭蓋骨が緩んでいても「ぼんやり」します。
首の骨は、例えば、胃の症状(胃潰瘍や十二指腸潰瘍)でも曲がります。
私は、、、よく食べるし、よく飲む(酒を)。
胃は強い方なので、やはり何か他の症状からきているはず。
というか、栄養摂りすぎ、、まさしくそうかも。

それから、首は足首と関連が非常に深いです。
そういえば足首、先週のいつだったか、朝一で階段を下る時に
グキッとひねったことを思い出しました。
首が先に凝り、ほかっておいたら凝りすぎて、足首を痛めたんだな、と、
なんだか探偵のように、だんだん腑に落ちてきたぁ〜!ふふ。
まぁ、要するに首の異常は、首と胸の筋肉が硬くなり、頭蓋骨の各縫合部が緩み、
頭骨の下垂へとなって、首から上の血行が悪く、めまい、頭痛が起こる。
ほんでもって、首は脳と内臓の連絡通路みたいなもんなので、首が硬くなりすぎると、
迷走神経が内臓に影響を与えたり、甲状腺と副甲状腺ホルモンのバランスも崩れるし、
もう、いろんな不調が起こったりするのだ。
(ちゃんと書くと長くなるので、ちょっと端折りました。スミマセン)

このように、首は生活していく上では、大変に重要かつ大きな役目を持った、
大切にしなくてはいけないところなのです。
肩凝り、首凝りから解放されたければ、
シルシアサナ(逆立ち)、サルヴァンガアサナ(逆さか立ち)が良いと
私の心の師匠、沖先生もおしゃっています。
やりましょう。
わかったか、自分。

マタニティーヨガを受講されるにあたって  2015/07/16(Thu)15:50:03
マタニティーヨガは、妊娠中の方の健康を維持するだけでなく、
これからお母さんになろうとする妊婦さんとお腹の赤ちゃん双方の、
体と心および精神に平穏と自由をもたらしてくれる、ひとつの手がかりとなるものです。

マタニティーヨガの効用は、一言で言い表すことができないほど、
妊娠している女性の体内で、調和という形であらわれます。
本来備わっている生命の力への揺るぎない信頼が生まれ、出産と育児への自信が自然に湧いてきます。
妊娠期間中には、体に様々な変化が起こります。
それは大きな衝撃とも言えます。
ホルモンの働きが通常の何倍にもなり、あらゆる部分に影響を与えます。
妊婦さん自身、妊娠期間中は赤ちゃんの生育に伴い、敏感に体の変化を感じることでしょう。
ヨガを続けていくと、この感じる力は一層深くなり、体だけでなく、
精神面と感情面でも、様々な波が押し寄せては消え、また荒波のように発生したりもします。
ヨガを経験することは、この様々な波を自分の生命の力でコントロールしながら、
自然のことはあるがまま自然に受け止め、素直に、流れにお任せするという安心感をもたらします。


マタニティーヨガをやりたいという妊婦さんには、可能であれば、
1度だけの受講でなく、時間のある時にはぜひ何度も参加していただきたいと思います。
何度かレッスンに参加すると、自分の内なる本能の領域に集中しやすくなっていることに
気づくはずです。体もほぐれると共に、精神面でも柔軟に発達していくことで、
出産間近に、たとえどんなことが起こっても、落ち着いてそれを受け入れ対処する強さも身につきます。

そして、最後に。
時には、こちらから、その日のレッスンをお断りすることもあります。
これは、妊婦さん自身は「私は元気だから動きたい!」と思っていても、
母体と赤ちゃんの負担になりそうな時には、勇気を持って休んでほしいからです。
ヨガを行う時は、静かな場所、快適な温度が望ましく、また食後すぐに行うのは避けます。
少しでも、何か気になることがあれば、レッスン前に必ず申し出ます。
レッスン場所まで出向く時に、風が強すぎたり、大雨が降っていて出かけることが困難であれば、
自宅でゆったりと着心地のよい服装で足元を暖かくして過ごしましょう。

ヨガは、自然界に存在する豊かな力を大いに発揮し、
自身の母体と赤ちゃんの存在を敬い、愛し、いたわりながら、
その将来が確実に幸せで健康的なものにすることができるのです。

OM


心を軽くして臨む  2015/06/12(Fri)17:09:29
新しいことを始めるということは、多かれ少なかれ、一生続くもんだな、
と、最近また思うわけです。
例えば、私の母は現在77歳ですが、2年前に父が他界し、初めての独り暮らしをすることになりました。
今までずっと50年以上、一緒に暮らしていた伴侶が亡くなり、
様々なシーンで「知らんかった!」「失敗した!」「初めてやってみて出来た!」って事案が発生し、
まぁまぁ近くにいる娘(私)も端から見ていて、呆れるわ、心配だわ、また爆笑もんだったりと
この歳にしてたくさん発見があって、ええね〜と思ったりしております。

仕事にしろ、習い事や遊びにしろ、新しい事、新しい環境に身を投じるって、
なかなかストレスがかかります。
特に、人に迷惑かけないようにしたいという真面目なタイプだと、
気合が入りすぎたり、緊張し過ぎたりして、なんか空回りしてしまったりとか。とかとか。
でも、そのストレス(のようなもの)は、案外悪くはないもの。と私は思ったりします。
だって、そこから抜け出したり、また戻ったり(よくある)するだけでも、
身体が、感情が、思いもよらぬ変化があって、
また新しい考えが湧いたり、行動力が身についたりするからです。
で、数ヶ月もすれば、慣れますし(笑)。

慣れるのもいいし、いつまでもフレッシュな気分でいるのも悪くはないですが、
ここで私が気をつけているのは、
「人に嫌われたくない」という思いに固執することです。
みんな、人から好かれたいです。私もそうです。
でも、世の中の全員に愛されるなんてことは、ないです。
その思いに固執すると、今度はどこかで嘘をつかなくてはいけなくなります。
嘘はついたら必ず覚えておくようにする。
でも、自分に嘘をついてまで相手に合わせる必要はない。と私は思います。
ヨガを長年、コツコツ続けていると、自分の身体のことが結構わかるようになります。
身体がわかるということは、心もわかるようになります。
快か不快か。楽しいか楽しくないか。
自分の心がわからないと無理がでてきます。無駄な行動も多くなる。

ヨガをするにも「心を軽く」して臨んでほしい。と最近、切に思います。
ここを治したいとか痩せたい、姿勢をよくしたいなど、思いは様々ですが、
座法でマントラがはじまったら、まずは心を軽くし、お腹から声を出しましょう。
そして、ただ一心で自分の存在を愛でながら、呼吸とその動きに注意をはらって、
その時を過ごしてください。
余分な思いを取っ払ってください。
私から何かを学ぶのではなく、自分という唯一無二の存在から感じ取り、学んでください。
そのための手助けのために、私は目の前にいます。

話変わるけど、「あなたにとって〜〜とは何ですか?」という質問が苦手です。
「あなたにとってヨガとは?」や、他のことでも、
聞かれた際は、「愛だよ、愛。」と答えるようにしています。
こういう質問する人がめんどくさいって思っちゃうわけなんですが、
真剣に考えて答えるのが、ま、めんどくさいだけで、
愛って言えば、なんか納得してもらえます(笑)
みんな愛があるからね。





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